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印刷業とは(40年前の読み物です)
我国に於いて国字改良論の先駆は新井白石が漢字癈止論を唱え足利時代から平和時代に移り戦後印刷物は、印刷家の設備と技術競爭の時代です。急速な需要に迫られし為、活字母型は、間に合わせを使って居た處も、現今優秀な書体、美麗な活字を選択し、きれいな印刷をするもので盆需要が増大して來ました。
日本が始めて漢字を輸入したのは、いうまでの無く万葉や古事記以前で、つまり日本の古典は漢字で書かれ、いわば漢字文化として日本人の心を捕え、自然、日本では漢字に対し深い尊敬を覚え、信頼を寄せていたに違いない。
日本語は漢字で表わすには不便があり、それを補う為め仮名を発明し表音、音節文字として混用する方法が工夫された。
専修専念の行事を成すのが難しいのでは無い。同じ事を繰り返し徐かに進むのが難しいのである。自らの力を頼む者は近道をえらぶ。急ぎに無理はつきものである力が弱いのでは無い。倦くのが事を半ばにして崩してしまうので有る。が何よりも悪いのは、事を為しつつ其成果を考える事で有る。そこに既に自己は分裂し、其の心が、知らずして自らを疲らす。いま当面する其事の自己のありだけを献げる其専修専念の行に全自己が統一せらるる時、自他の分別は忘られ、苦楽・利害・を超え、限りなき喜びは、限りなき力を生み出す。いかなる惡魔もこれを惑わす術を知らない。
吾輩は活字である。名前はまだ無い、あらゆる階級、老若男女にお目にかかる。吾輩のならぶのをみて、喜ぶ人、笑う人、おこる人、さまざまな御面相にぶつつかる、驚くのは吾輩である、吾輩をならべる事の上手下手で、分壇の王将も生れるベストセラーも、成金も生れる。一寸碁や将棋にも似ているネ ところが吾輩自身は余り愉快でない、第一待遇が悪い。
文明社会の第一線で酷使しておき乍ら、人間共は吾輩の生地も知らぬ間に、暗から暗へ、おもしを掛けたその上に、焦熱地獄の釜へほうり込む、丸きり石川五右衛門同じに取扱う全く恩も義理も知らぬのは人間共である。戦争で無くなった時の事を思い出して、せめた年に一度くらいは活字供養でもして呉れてもよかろう。
 漢字はもともと子供の絵のような、象形から発達したものであるが、それでは極めて僅かな物事しか描けなかったので、物事の複雑な区別を、単音節という条件に応じて、音標的に使用される文字を組み合わせて一字とし、偏にはその種類を傍にはその性質と是れを呼ぶための音とを配当した。漢字がこうした方法を取り入れてから、極めて多数の文字が作られて、その結果驚くべき数の文字が繁殖した。事実世界に民族は多いが、これだけ夥しい文字を作ったものはどこにもないのだから西洋人はこれをデヴィルの文字といい、またテリブルといっておじ毛をふるった。然しこれをワンダフルと云って感心した話は聞いたことがない。
 中国人にしてみても、この数万という文字を残らず覚えているのは字書だけで是れを全部使いこなすのはどのみち人間業では出来ない。この中には勿論これを作った時代には生きていた文字が、今日では全然必要の無いものが多いが、それはちょうど、死んでしまったものを葬らずに、昔の人を全部戸籍に入れて置くやり方である。
◇会社の利害と販売員の利害は一致する。個人の利益のまえに会社の利益を置く  ことによって成功への輝かしい第一歩を踏み出した販売員は多い。
◇会社と会社が誇るすべてを商品と一緒に売るのでなければ販売行為は中途はんぱである。
◇会社が向上するときは、会社の抱負も伸びる歩速についてゆけぬ販売員はまもなく落伍する。
◇会社をあざけり、客をからかうクセは、やがて昂じて、会社に対する根からの不忠実、客に対する許しがたい屈辱とまで発展する。
◇会社には、きわだった人物が必ずいるものである。その人をみつけて、彼の成功と業績のよってくるところを分析して、その結果を利用せよ。だが彼のようになろうとは努力するな。彼から学びとったものを、自分なりに応用するだけにせよ。
◇あなたは社是をハッキリつかんでいるか?それはちょうど本能というものが、血管を流れ体じうに行きわたり、あなたを紳士に仕上げるように、社是は事業をつらぬく活動の源泉である。これを基準としてみずからそれに照合せよ。
◇なにごとも無批判に受けいれるな、もし会社の規則―会社の伝統や目的―が判らなかったら徹底的にそれを納得するまで探究せよ。
◇論争点についての会社の裁決に、こころよく、おだやかに承服するのは紳士的だ態度である。
◇会社は自分の才能を認めてくれぬという不平に対しての最もよい下毒剤は教養である。昇進するかどうかはその人次第だ。多くの昇給はそれを与える雇主の手をしばるだけに終る。それでないものは稀である。
◇真の憂いを語りあうのは、本社においてだけにせよ。いたるところで重大なことを話すのは、会社の利益にも、あなた自身のためにもならぬ。
◇多くのメーカーは、製品配給の変転極まりない問題についてゆけず、取り残されまいと苦慮してシラガ頭になりつつあるこの問題に関心をよせ、この難問を究明すれば、思わぬ報酬に恵まれよう。
◇本社から出先の販売員に、なにかきいてきたら、その要求がもっともならさっそく報告を書き送る。もしあいまいなことがあったら聞きかえす。もしその要求に応じられぬなら、はっきり断ることだ。黙して返事もしないのはいけない。
◇客の味方になって、会社にタテつくことはやり易い。こうしたことがモトで人に与えらる言質は、いつも会社を窮地に追いこみ、ついには、あなた自身にも不利になる。
◇本社へ送る手紙は、意味のない些事を、手前みそを並べただけのものともなるし、また販売員と本社をつなぐもっとも強い綱ともなる、正しい手紙を書けない人はその書き方を学ばなければならない。
◇会社の指令を仰ぐのは差し支えない、だが、あなたの手柄はあなたが切りひらくのだ。あらゆる機会をつかめば他人にうらやまれるような敏腕家となれる。
◇会社は商品をつくり、あなたは売る、会社がなかったら、いまのあなたの報酬も実在していない。あなたの成功のある部分は、会社のものであることを、あなたが広く認めて暮らすなら、あなたは地位の高い友人が出来るだろう。
◇受けもち区域が広すぎるとか狭すぎるとか、グチをいっても始まらぬ。事情をくわしく調べあげ、ちくいち本社へ提出するがよい。
◇販売部長は、あなたほど、ものを知っているように見えぬかも知れぬ。だが、おそらく、あなた以上に豊富な知識をもっているだろう。彼が進んで言うことは、すなおに受けとれ。すくなくとも虚心たんかいに試してみよ。
◇販売会議は販売員に付きものの集まりである。丸たん棒についたように黙って座りこんでいては、せっかくの機会を逃すようなものだ。なにかまとまった役にたつと確信するものを携えて出席せよ。ただし、しゃべるだけが能ではない。
◇広告の裏面の事情に精通しておくと役に立つ。業界で話し合うとき、広告は自分のヤブヘビにも、加勢にもなる。広告の話をする方法には正しいものと、まちがったのとある。
◇業界紙を欠かさず読んでいると、業界についての知識が頭に入り、人と話すとき、無意識にそれがあなたから光ってでる。
◇あなたは以前から販売部報を読まないで捨ててもいいほですべてにくわしい自信があったか?
◇あなたの目の前の広告や、土地のウワサなどのなかに、競争者のカギがひそんでいる。あなたの目はいつも開かれているか?
◇販売の仕事のうち、監督ほど金のかかるものはない。もし、あなたが人並みはずれて監督されねばならぬとしたら、あなたは金のかかる厄介者である。 ◇ステッキは、散歩には便利な助けとなろう。しかし、上役の特別な介添えによる販売員は、自分の腕をみがく修業を忘れる。
◇野球の選手は、それを頭の体操と呼ぶ。あなたは会社がくれる各種の宣伝物を、たえず見ているか?あなたは脚には十分の運動をさせている。しかし、頭にも、ときに運動させてやれ。
◇考えに考えて、考えぬいた確信を堂々たる行動に移す販売員は、みずからドングリの群を抜けだしてゆく。 ◇販売技術は音楽の技巧とひとしく大切である。音楽では絶えざる練習が技巧の誤りをなおす。販売でも同じことである。
◇生産性の主要動力は熱心である。熱心は逆境にある販売員の力となり、彼を出世へと引きずってゆく。
◇私は奉仕する は英國皇太子の座右である。これは販売員にもよい格言である。 日本字は漢字の外に假名があり漢字のイスを半分も分取ってる活字印刷は近頃、非常に美しさを競うようになった。歐米の美事な意匠の新輸入品等の影響で新工業の復興進歩の賜です。
活字のレイアウトと配色の工夫に、更に藥品や化粧品等の包装や、廣告および文献印刷に、新鮮と新しい感覺を尊ぶ印刷に、都會に於ける印刷物は、毎日新規を求めています。
漢字の渡來は古事記に依れば紀元九四五年、應神天皇の御代に百濟から王仁が、論語十巻及び千字文一巻と諸の典籍を携えて來て、朝廷に捧呈したのが我国に渡來した始めであると傅えられて居る。 然し是れは正式の記録であって漢字は既に其以前に我国民間の一部に使われて居たとの學説が多い。
印刷用紙が戦後お粗末であったため、比較的目の立たなかった活字印刷も用紙がぐっと良くなったのと、一般に使用活字が小字を好まれるようになり、特にアート紙使用に當っては、活版印刷の活字面が精粗、美醜が判然と表われて、仕事の良し悪しが一目瞭然と分って頂けるように思います。こうした活字印刷向上の時代になって來ましたことは文化の復興を語る喜ばしい現象であります。
活字の書体、本文用の明朝はどのような書体が読みよく、眼によく、美しい印刷上の耐久力もあり、なお縦横線がくっきりと美しい線で、しかも力強くあり、大きさと線が良く平均がとれて字数も多く、とかように考えて來ますと、なかなか活字書風もむつかしくなって参ります。 印刷物の美・醜は、印刷所の常識・アイデアの優劣によって左右されるわけではありますが、やはり何といっても原稿の良否が、その基本となるものです。いくら印刷所が努力しても基本となるべき原稿が不明瞭であったり、誤字があったりした場合は、印刷技術の能力を最高度に発揮することができません。よりよき印刷物作成のためには印刷所の外交員及び技術者は勿論のこと、一般需要家でも、直接その發註に當る人々は、印刷物原稿作成に関する知識と見聞をひろめ深い理解をもって、その仕事に携わるほどの熱意がほしいものです。
今日一般に使用されている活字は、鉛、錫、アンチモンの合金により鋳造されたものであるが、これは十五世紀に独逸人ヨハンネス・グーデンベルグによって発明されたものである。
活字はその読みよいと云う事が第一条件であるが、活版面の構成を考えて、並び線の不同や、文字による重心の上下、篇とつくりのバランス、書体による目の錯覚等を考慮に入れると単に機械的に劃一化したものは読みにくいものである。
扨そこで審美的な配慮が加味され又毛筆の筆勢をとり入れると活字がいきいきとして親しみ深い書体になって来る。毛筆を永い伝統とした吾が国民が毛筆の押さえやはねに無意識な執着があり、「美しい」と感ずるのは民族の永い伝統によるものである。
活字は美しい・・・・・と感じられるのは何故でしょうか?勢て成程書家の書いた文字は一つの芸術作品として高雅な美しさをもっているし、図案家の書いた字はきれいにととのっているけれどもそれはある限られたスペースの中における美しさであるのに対して活字はどの文字を他の如何なる文字と組み合わせても一定の秩序ある美しさをもっている―即ち一本一本の活字が集合され版に組まれた時に相互に調和がてれているからである